「少年よ大志を抱け!」は正しいのか?

「夢」って必ず持たないといけないんですか?
「夢を見つけなさい」
とよく言われませんか?
ここ何日かで校長先生の口から「またかよ…」と思いながら聞いた人も多いのではないでしょうか。
なぜ「夢」を見つけなくてはいけないのか
先にゴールを決めて、そこへ向かう道筋を調べ、学び、進んでいく。
とても賢い人のやり方。
もっと言えば大人なやり方な気がする。
調べたり、学べば、なり方が分かる職業は確かにたくさんある。
けど、調べても分からないこともたくさんあるよね。
例えば空手の世界チャンピオンだってそうだ。
「こうこうこういう練習をして、こういう物を食べて、これぐらい寝て、こういう本を読めば、誰でも世界チャンピオンになれるよ」なんて教えがどこかにあるのだとしたら1秒でも早く読んで、世界チャンピオンになっている。
例えばYouTuberのなり方なんて昔は誰も知らなかった。
というか「YouTuber」なんて言葉すらなかったところに可能性を見つけ、突き進んでいった人が「YouTuber」となったんだ。
「夢を見つける」ことが悪いことではない。
「夢を見つけなくてはダメ」という風潮が悪いことだと思う。
別になくたっていい。
「夢がある人」はそれに向かって、今から、周りなんか気にせず突き進めばいい。
「夢がない人」は、楽しいこと、正しいと思うこと、やっている自分が好きなことを誰よりも一所懸命やればいいんじゃないかな。
何かを一所懸命やって、極めると、それが「職業」になったり、「強み」になったり、「個性」になったりする。
今の世の中はそれらを許容するし、それらを評価し、求めてくれる土壌がしっかり育っていると思う。
だけど「頑張る」のが嫌いな人には残念なお知らせだけど、極めるためには「努力」がやっぱり必要。
その漢字2文字を見るたびにウンザリする気持ちは私にもよく分かる。笑
だけど、「努力」だと思わず「努力」できたら?
だからそれをやっていて「楽しい」とか「好き」ってことはとても大切なんだと思う。
私たちは学校で何を学ばされたのか
そして、みんなが有無も言わしてもらえず通ってきた学校での一番の学びは、「努力」の仕方を教わったことではないでしょうか。
クラブ、部活動、委員会、生徒会、学芸会、学園祭、体育祭、運動会、テスト、小テスト、期末試験、展覧会、卒業制作、卒業論文…
コツコツやったことは嘘付かない。
転んでも立ち上がることの重要性。
集団が一致団結した時の強さ。
一夜漬けの大変さ。
時間をかければかけるほど上がる完成度。
緊張から解き放たれ味わえる達成感。
もう「努力の仕方」をあなたは知っているってこと。
だから、大丈夫。
今あなたが考えていることは間違ってない。
もちろん変わっても良い。
やりたいことを死ぬ気でやろう。
誰よりも1分でも1秒でも多く練習しよう。
大人は楽しいよ。
「若い子は良いなぁ」「子どもが羨ましい」なんて言ってる大人はほっといて、早く、格好良くて楽しい大人になって、誰よりも笑いながら一緒にお酒を飲もう。
ウキウキしながら待ってるぜい!
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